キミガヨ中国版?
北京オリンピックでぼちぼち金メダルを取る日本選手が出てきており,表彰式には君が代も演奏されているが,どうも聞き慣れたものとの違いが気になる。一番気になるのは苔むすあたりの音ののばし方と銅鑼の音。昨日の演奏を聴いていたら滑り出しでちょっと音が切れていたので,おそらく録音された音源を使っているのだろう。
国によっては国歌の長さがやたら長いものもあるので,オリンピックのような時間の限られたイベントに使うには編曲される可能性はあると思うし,銅鑼の音が,日本でよく聞く拍子抜けのような打楽器の入り方と比べてどうかと聞かれれば,個人的には慣れてしまえば銅鑼版の方が,好きになるかもしれない。さすがに銅鑼は日本の伝統的な楽器ではないこともあって,今のところは違和感がある段階にとどまっているけれど。
この手の話でよくあるのは,各国料理が外国に持ち込まれると,本国の料理と全く違ってしまうことがよくあること。韓国ではソーセージがつまったおにぎりを食べたことがあるし,アメリカでの寿司はトッピングに唐揚げとか,ハムとか,いろんなものが使われている。日本で食べる中国料理やイタリア料理だって,本国で食べるものとは多いに趣きが違う。
いずれも現地のニーズに合わせていったらこういうことになっていったのだろう。本物に徹底的にこだわる方が好いのか,顧客のリクエストやニーズに徹底的に合わせていくのが好いのか,どちらがよいかは提供者のこだわりという価値観の問題で一概には決められないが,より難しいことに挑戦するという意味では本物志向の方が好みかな。
北京オリンピックの開会式の中国でのテレビ視聴率は軽く95%を超えたとかで,オリンピックを中国国民がいかに期待しているかが伺える。思想統制もしないのに国民の考えや思いが一つの方向に向かってまっしぐらという状況は高度成長期の日本を彷彿させる。この先,経済が豊かになった後に来る中国国民の価値観の多様化の時代に何が起こるかが楽しみである。