アイデンティティ・クライシス
王貞治さんのご母堂が亡くなられたとの報に接した。王選手(私にとっては王さんは王選手と呼ぶのがしっくりするので,以降こう書かせていただく)は,中国・浙江省出身の父親,富山市出身の母親のもと,東京の中国料理店の次男として育てられたと報じられているが,そのことについては,自分の記憶をさかのぼると,小学生時代の学習雑誌で伝記漫画を読んだことがあるのを覚えている。
当時,こどもむけの雑誌にはまったく触れられていなかったが,おそらくは差別や偏見など様々な苦労が本人や家族を含め,いろいろと悩んだのだと思う。王選手がハンク・アーロンのホームラン世界記録を抜いたときは,日米では野球場の広さが違うからそれほどの価値はないだとか,様々な貶めがあったのを記憶している。
日本に長く滞在する外国人在住者たちは,祖国の社会とのつながり,在住地の社会とのつながりも軋轢を伴ったものになりがちで,自分は何者なのか,ここで自分は受け入れられるのだろうかと,人知れず,様々な苦労や悩みがあるのだろうと思う。私自身は留学や業務での渡航で比較的海外滞在期間が長いとはいえ,短期間,せいぜい1年間の寄留者ということもあってか,生まれ育った故郷以外での生活というのは刺激に満ちて楽しく,仕事もやりがいのあるところというイメージが大部分を占めている。だから軽々しく,その気持,わかるよ,とは言えないが,言葉や世界の捉え方の違う人達に囲まれて過ごした経験のあるものとして,そうした人たちの思いを受け止める機会があるなら受け止めたいと思う。
一方で,アイデンティティ・クライシスと同じような状況は,仕事を進める上では同じ国の人・社会の中で過ごしていても,感じるのだなと思う。たまたまここしばらく,役所や関係機関,民間事業者,金融機関と,異なった立場の人達の異なった見解を思いもかけず知ることになり,調整をしていた。その中で気づいたのは,自分は日本の役所の人たちの発想,経営者の人たちの発想などを予測できていなかったという事実であり,また,仕事で上司や取引先から指導,指摘を受けるのは,一つにはこうした組織単位独特の発想の枠組み,パターンを伝承・理解する意味でもあるのだとも感じた。もしその組織に染まりきっていない状況で,あるいは自分の価値観を確立していない状況で厳しい指導や指摘を受け続けていったとしたら,周りがたとえ同じ言葉を話す人達といえども,外国人社会にいるのと同じような圧迫を感じるのではないか,それは,後ろ向きであれば,自分は何も役立たないのではないかという自己無力感に,あるいは前向きな問いとしては自分とは何者か,何をなすべきかという問いに,つながるのではないかと思う。
私はよく自分のことを在日日本人と称しているし,考え方も変わっていると自他共に認めるのだが,自分の考えを相手が理解しないと怒っていても物事は解決しないことを経験的に学び,相手と共存を図る方法はなんだろうか,相手がそう表現したり考える裏にある考え方の枠組みはなんだろうかと考えるようになった。そうすることで,自己効力感の無さは,解消していった。
こうした壁や困難を乗り越えるとき,その人に,成長がある。目の前に,そうして苦しんでいる人がいるとき,だから頑張れというつもりはない。信じている,あなたなら乗り越えられると。そういう思いで見守っている。王選手が母親をたたえた言葉,「力強く生きてくれたことは、息子として誇りです。」というコメントがこの記事に掲載されていた。表には出せない苦しさがあったことをうかがわせると共に,家族として支え合った幸せが滲み出ることばである。