日本でのものづくりから日本によるものづくりへ

高校生が化粧を競いあったり,大学生が自分で考えることをしなかったりと,日本の将来を心配する日常的光景を目にすることが多い。が,当初は経済発展に寄与していた開発独裁型政権が自主改革をなしえず,将来を左右する課題,すなわち年金や財政問題,少子化問題の取り組みが先送りにされてきた状況からすれば,将来に希望を持てといわれても彼らが虚しく感じたのも無理はなかったろうと思う。実際に接してみると,若い世代の多くは本質的には真面目で,よく生きたいと考えていることは自ずから知れるが,一方で,よほど楽天的なひとにぎりの学生しか,将来や直近の未来に希望を持てないでいる。政権交代によってこうした問題が何もかも片付くというのも幻想だろうが,それでも国家単位の活動の見直し,検証がようやく着手されたのは,ほんとうにぎりぎり間に合ったというタイミングだと思う。

国際化や技術革新が進む中,これから日本が繁栄を謳歌しつつ生き残りたいのであれば,その道は,内にこもるのではなく,海外を活用し,win- winの関係を築く,そのために平和な社会を築き上げることを常に念頭においた道しかないのではないか。内にこもることは経済や政治的な影響力の縮小に直面するだろうし,それが排外的な態度にも繋がりかねない危険がある。一方で,台頭する新興国や,依然 として活力ある先進国の間で存在感を保持するには,まずは日本の経済的な活力の復興が前提で,それが実現できて初めて経済規模の再拡大 や政治的な影響力の強化がもたらされるであろう。

一言で言えば,日本の活力の復興の道は技術的優位にではなく,「日本人の国内外での活躍」に見いだせるのではないかと思う。日本人が異文化を背景とした人たちとチームを組み,課題を解決していく力を備え,国の内外で実践していくことが,「和を以て貴しと為す」という社会を誇る私たちの新しい目標ではないだろうか。

この実現のために必要なことは,縦型から横型への人間関係の捉え方の変化,法化社会への変化,新しい時代の基礎教養である新読み書き算盤(異文化理解と協力を促進するため心理学的素養,論理的なコミュニケーション力・思考力,ITリテラシ)を社会に根付かせることである。従来の,ワーカーに必要な学力ではなく,大小のコミュニティを動かす力を身につけることが次の時代に生き残るために必要な力である。

この3点セットの普及実現は,日本は世界各国の中でも有利な条件にある。覇権主義,大国主義の国が異文化協力を並立させることには本質的矛盾があるが,日本は敗戦国という位置づけから,あるいは資源小国という条件から,国際理解と協力を促進せざるを得ない立場にあるし,実際,そうした取り組みは一定の評価を得ている。また,高い教育普及率や学びに対する熱心な国民性は,教育のありかたを微調整することで,こうした社会変化を促す基板となる。その上,世界で最先端の機械技術,情報技術を活用した製品・サービスに触れる機会は世界でもまれに見るほどの豊かな状況であり,そして,政権交代をはじめとした社会の見直しの中で起こっている既存の権威に対する信賞必罰の態度は,社会変化の強力な駆動力になるのではないか。

もっとも,こうした社会変革は中長期的な取り組みであり,移民の受け入れや,伝統文化の変容,歴史の直視といった痛みの伴う変革でもあるので,抵抗も多いであろう。また,中長期的な取り組みであるからこそ,短期的な課題である経済復興には何の寄与ももたらし得ない。成長戦略に乏しいと揶揄されたここ何世代かの政権も,このような長期的な視点を持ち得ないまま潰えてしまった。

次回は,短期的な課題について考えてみたい。